冒頭、ポーランドのナチスの強制収容所で、ユダヤ人の男の子が、両親から引き裂かれるシーンが映る。両親と別れたくない男の子は、泣き叫ぶ。少年の強烈な“思い”は、鉄の扉をグシャグシャに変形させてしまう。
原作は、1960年代の伝説的な人気のアメリカン・コミック。見る前のイメージは、単純なアクション大作だったが、非常にテーマが深く、ただの実写版ではない。
X-MENとは、いわゆる“超能力”をもったミュータントと呼ばれるごく少数の新しい人類だ。彼らは、進化によって超能力をもっているのだが、大多数の旧人類から危険視され、疎外されている。この映画は、異質なものを排除してしまう、人類がもつ“差別”という病を描いている。
物語は、三者の対立が軸となる。
ミュータントを排除しようとする人類。
そうした人類を支配しようとするミュータント。
人間との共存を信じるミュータントだ。
そして、対立するミュータント同士が、さまざまな超能力を駆使して相争う。
人類を支配しようとするミュータントのボス・マグニートーは、冒頭の少年が年老いたという設定である。マグニートーの論理は、自分たちを差別する者を攻撃しようとするもの。この論理は、差別される側からすれば、当たり前かもしれない。
一方、旧人類との共存は可能だと信じるチャールズもいる。
ミュータントへの人種差別を描いているが、60年代、アメリカに起こった公民権運動が背景にあることは想像にかたくない。
どこまで人間を信じることができるのか。
マグニートーは、到底信じない。
チャールズは、どんな偏屈な人間であろうと、まずは信じる。
ここに、両者の人間観が現れている。
果たして、見る側の自分はどちらの人間だろうか。
もちろん、アクション・シーンは見応え十分だ。超能力と白兵戦をうまくミックスしており、心臓をドキドキバクバクさせる迫力にあふれている。
主人公のウルヴァリン役を演じたオーストラリアの男優ヒュー・ジャックマンは、ハリウッド初出演。男臭いが、脂ぎってはいない。変な自己主張を感じさせない、なかなかにいい俳優だと思った。