クリント・イーストウッド監督=主演作品。
1958年、米ソのあいだで熾烈な宇宙開発競争が展開されているなか、空軍の選り抜きパイロットで構成された“チーム・ダイダロス”は日夜、宇宙飛行士になるための激しい訓練を繰り広げていた。
ところが、突然プロジェクトの権限が新しく設立されたNASA(アメリカ航空宇宙局)に移行し、アメリカ人初の宇宙飛行士になるという4人のメンバーの願いは夢と消えた。
ところが、それから40年の時を経て、彼らにチャンスが訪れる。
旧ソ連の通信衛星が故障し、地球に落下する危険性が高いとの知らせがメンバーの1人コービン(イーストウッド)に届く。
その衛星はかつて彼が設計したシステムを使用しており、彼の協力が必要だったのだ。
コービンは提案する。もしも“チーム・ダイダロス”を復活させて、宇宙に修理に向かわせてくれるなら協力しよう……。
こうして、この映画は老人パワー全開となるのだが、周囲は老人たちを優しくいたわってはくれない。むしろ若いエリートパイロットたちは、どうして今頃こんな老いぼれが出てくるのだと冷ややかな態度だ。
ところが、イーストウッドやトミー・リー・ジョーンズら演じる個性派ぞろいの老人パイロットたちにいたわりなど必要ない。体力や俊敏性は衰えていても、コンピューター世代に太刀打ちできない手作業的技術を身につけているし、女性を口説くユーモアや老練なテクニックにおいて絶対に若い連中に負けていない。この映画は老いについての新鮮な解釈を提案してくれている。
また、アメリカと日本ではこんなに“チームワーク”についての考えや理想が違うものか、とあらためて感心させられた。
メンバーがエゴを捨てチームに献身するのが日本的だとすると、アメリカではむしろ個々のメンバーのエゴを前面に出し、その熾烈な衝突を経て、チームがより高い段階に達することが理想とされる。
本作の成功もまた、メンバーの個性を最大限に重視して全体としての力の向上を目指すアメリカ的理想が有効に機能した結果で、イーストウッド個人だけでなく、明らかにチームワークの勝利なのだ。