イギリスの新進作家アレックス・ガーランドが1996年に発表したベストセラー小説「ビーチ」の映画化。
同じく若者を中心に熱狂的人気を集めるサブカルチャー系小説を映画化した「トレインスポッティング」で脚光を浴びた監督のダニー・ボイルと脚本のジョン・ホッジほかのチームを再結集させ、「タイタニック」で世界的なトップスターとしての地位を揺るぎないものにしたレオナルド・ディカプリオを主演に据え、かなりの意気込みで撮影に臨んだ本作。
さて結果はどうか?
若者が大人になるプロセスで経験する、魅惑的ではあるが危険な香りにも富んだ通過儀礼の物語――内容についていえば、そう要約できるだろう。
ディカプリオ演じるリチャードがタイのバンコクに到着する場面からストーリーは始動する。
リチャードは欧米からアジアを訪れる若きバックパッカーの典型で、これまでのイギリスでの日常的生活に飽き飽きし、自分がこのままただの大人としてダラダラした日々に埋没してしまうことへの危機感に苛まれている。
つまり治安も悪く、決して清潔ではなく、また文化的価値観も180度異なる場所にわざわざ赴く貧乏旅行は、彼自身の人生観をも180度変えてくれるような出来事や光景との出会いへの渇望を意味するのだ。
この映画でいえば、その西欧的価値観を180度変える決定的な光景を象徴するのが、伝説的な“ビーチ”の存在だ。
リチャードは偶然出会った不可解な男から、観光客の餌食になってリゾート化されることを避けるために一部の人間を除いて秘密とされている美しいビーチの存在を知らされ、地図も手にいれる。
早速リチャードは同じホテルに滞在していた同世代のフランス人カップルを誘って、旅立つ。
目的地にたどり着いた3人が目撃したのは、まさに楽園のような美しさで広がるビーチとそこで小さなコミュニティーを形作って暮らす欧米人たちの姿だった……。
前半のユートピア的な展開と比較して、後半は重苦しいムードに包まれ始める。
コミュニティーが幾つかの出来事を経て、次第に崩壊の兆しを見せ始める。
“アジアの神秘”に一方的な救済を求めがちな西欧のカウンターカルチャーが60年代末から70年代にかけて経験した挫折、コミューン幻想の崩壊を反復するかのように。
自分を変える何かを他者に求める西欧の傲慢さが裁かれるといってもいい。
つまりこの映画は十分教訓的だが、そうした部分が正直、ハリウッド大作に観客が求めるエンターテインメントの要素との間で有機的な共存にまで到達していない、とも感じられたのが残念。